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江戸時代の「石高」は一応田畑や屋敷などの土地の価値にいたるまでの面積に石盛という一定の係数を米の生産力に換算して表したというもののようです。 [雑感(その2)]

 江戸時代の「石高」は一応田畑や屋敷などの土地の価値にいたるまでの面積に石盛という一定の係数を米の生産力に換算して表したというもののようです。
 「米栽培」に限定されたものではないということのようです。
 「石高が低い」というのはその地域の生産力が低いということですね。
 アジア諸国は昔から人口密度が高い傾向にありました。
 これは「麦」に比べて「米」の生産力が高かったからといわれています。
 戊辰戦争後に会津藩が会津から下北に転封させられたのは京都での新選組とかの関係もあって新政府によって血祭りの対象になったためともね。
 廃藩置県で各藩の占有権等がなくなったことと「米以外」ということですよね。
 なぜ、下北に放牧場があったかというと生産力が低いからですよね。
 当時、国は「使い道がない」ということで払い下げに応じたのかも。
 北海道に移り住んだ元藩士も多かったと記憶しています。
 江戸時代でも「米」に固執yしていたわけではないですね。
 薩摩藩は琉球を搾取して「黒砂糖」で富を蓄えて幕末を乗り切ったというのです。
 忠臣蔵で有名な赤穂藩と吉良藩は塩ですね。
 で、松の廊下ですよ。
 また、長州藩は海運で稼いで幕末を乗り切ったというのです。
 江戸時代の方が各藩は特産物を見つける、創り出す、第三次産業で儲けるということについては今より熱心な藩が多かったのかな。
 米以外の商品作物も対象になっていたということですね。
 ところで、今は農林水産省の指導に乗ってというのが多いみたいです。

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