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「子供は親の背を見て育つ」というのと「丸ごと子供を愛したことがありますか」というのと「愛されたことがありますか」ということね。 [雑感(その2)]

 「子供は親の背を見て育つ」というのと「丸ごと子供を愛したことがありますか」というのと「愛されたことがありますか」ということね。
 「丸ごと」は存在するだけで愛され続けたことととらえています。
 今思うのに「愛する」というのは「愛された経験が必要である」と思うのです。
 人間はある意味非常に未成熟状態で生まれてきます。
 そして、経験を積みながら成長していくのですよね。
 その経験の第一歩が「愛される」ということではと思うようになりました。
 「愛する」方に精神的余裕がある方がよいですが、この頃のブラック的社会ではね・・。
 ブラック企業なんて問題を増産していると思うのです。
 ブラック部活的精神構造にされた親も悲劇かな。
 諸悪の根源みたいな内申書重視の入試とかで成績とか、それも、順位とかで子供を愛するとい風潮もあると思うのです。
 小中高校等の時期も乳児期と同じように存在だけで愛することができますか。
 子供は本来親を喜ばせたいのですよ。
 それを比較しての評価なんぞしていると「誕生日を待ち望む子」になっていっていたら、丸ごと愛しているとは・・。
 あるカウンセリングの研修会で事例で「不登校になった子がまた登校できるようになった」という事例報告があったのでした。
 そのなかで、再登校後の成績で父親が「おまえより順位の悪いのがいたのか」ということばを「冗談」として紹介されていたのですが、この父親、この期に及んでも「比較」で「まるごと愛していない」と感じました。
 ほとんどの参加者は気がついていない感じでした。
 よい意味で愛された経験があって、丸ごとの愛を子供にすることができたら、問題は減少すると思います。
 親に愛されたという親の背を見て育つわけですよ。
 中には不適切な育てられ方からでもよい意味の愛するというのをできる方もおれば、逆状態みたいな方もね。
 いろいろな行動等も「親の背を見て育つ」ですよ。
 俗にいう「三つ子の魂」説かな。
 遺伝的素因も一部にはある都思うのですが・・。
 子供は親の言動をよく見ていて真似する子も出てきますよ。
 ですから、名古屋だったかな、勉強させるのに刃物を突きつけて脅していたら息子を殺してしまった親がいました。
 自分も親にされて勉強するようになったからというていたと記憶しています。
 勉強好きの子供にするヒントも「親の背中」です。

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